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2016.4.6 opinionページ


2015.11.10 毎日新聞一面に拙書の広告が・・・



化膿性脊椎炎という病気

▼2015年4月11日(土)再入院

 退院から3週間後、毎日妻の付き添いに行っていると段々腰痛がひどくなり、
激痛のため歩くことも座ることもできなくなり、病気再発。
今度は脊椎に膿がたまって「化膿性脊椎炎」と診断されました。
腰椎が溶けているのです。

入院してから毎日ベッド上安静と毎日三回の抗生剤点滴を言い渡されました。
激痛のため寝返りもできず、手術対応ではないため倍量の点滴が約50日続き、
痛みが取れだしたのは6月9日退院の1週間前ぐらいからでした。
 やっと退院できたものの脇の下から腰までのハードコルセット着用、
週1回の通院と経口抗生剤が6ヶ月続きます。
実際には七ヶ月半抗生剤治療が続きました。

▼病病介護の現実

 多くの方に迷惑をかけ、多くの方に励まして頂きました。
妻は今も入院中ですが、家で看てやりたいと思いながらも我が身がままなりません。
今はときどき病院へ行き顔を見せて妻を安心させてやることしかできません。
 誰がいつどのような病気になるかは分かりません。
私のように介護者が病気にならないとは限りません。
ましてや難病患者にはそれぞれ個人差はありますが、病気にオフはありません。
通院はもちろんのこと、入院を余儀なくされることもあります。
そんな時、医師や看護師の言葉が病態を大きく作用することがあります。
 医師の医術には知識、医療技術はもちろんのこと、
患者に対し当事者意識をもち、対等に接する精神的な温かさを求めていくのは、
これからも患者会としての重要な役割だと思うのです。
加えて、高齢者が高齢者を介護することもさることながら、
病人が病人を介護することの困難さを実感した入院でした。
平成28年1月にレントゲンなどの検査結果を見て問題なければ治療が終了する予定です。
ちなみにネット情報では化膿性脊椎炎が完治したという体験談はありませんでした。

腸腰筋膿瘍という病気

2月16日(月)

1月の母親の一周忌ごろから騙しだまし腰をかばってたけど、
このところ腰痛最悪。
きょう和医大へ敏子さん外来通院やのに、運転できるかなあ?
結局、義兄に運転を頼みました。

2月26日(木)入院
両肩と腰の痛みと高熱で那賀病院に入院
腸腰筋膿瘍と診断される。
最近では非常に珍しい病気で
放っておけば敗血症で100%死にます。

3月6日(金)

両肩、腰の激痛、高熱、腸腰筋膿瘍 の入院から9日、
やっと携帯を持ち上げられるようになりました。
妻は不安定になり肺炎併発で他の病院に救急入院になってしまいました。
私はまだまだ点滴が続きます。
昨晩、きれいな満月に手を合わせました。
みんなに迷惑をかけ、みんなに助けられています。

3月17日(火)
19日、やっと点滴から解放されます。
あとは抗生剤は飲み薬に代わり、20日に退院することができます。
痛みは腰と右肩に若干残っていますが、
主治医の的確な診断と治療により、
両肩を引きちぎられそうな激痛から解放され、
敗血症に至らず回復させていただきました。
今回、腸腰筋膿瘍という病気になったのは、
やはり免疫力の低下ということで年齢もさることながら、
睡眠不足が大きな原因だと思います。
 もともとこの病気の症例数自体多くなく、
高齢で進行した糖尿病患者などに多いとされます。
しかもこの病気が発見されるのは
膿瘍の大きさが手の握りこぶしかそれ以上の大きさになってからで、
私のように7〜9ミリの大きさで見つけられることは
ほとんど無いといいます。(整形外科専門医のお話)...
 私の主治医が注意深く、
しかもこれほどの激痛の多発性関節炎には原因が他にもあることを疑い、
X線レントゲン、全身単純CT、骨盤のMRIに加え、
血管造影によるCTを撮ってくれたおかげで病気を確定していただくことができました。
 主治医には本当にたすけていただいたという感謝の言葉につきます。
私が入院して一週間目に、
一日早く施設に入った妻が精神的に不安定となり
肺炎を併発して救急で他院に入院となったのですが、
そのことを主治医に話すと
「奥さんの状態が落ち着いたらこちらの病院に転院させることもできるし、
病室も開けておくから心配しないように。
病院にある地域連絡室にはその旨を話して対応してもらうので、
大丈夫!大丈夫!」と私の痛い左肩にそっと手を置いて
優しい笑顔を浮かべ、快く妻の対応と私への励ましの言葉をいただくことができました。
激痛で何もできない私は熱いものがこみ上げ、
ただただ必死で手を合わせました。
 「医は仁術」といいますが、
医師は患者に寄り添うことが最も大切だと
講演などではお話しさせていただいているのですが、
まさにこれを地で行く主治医に診ていただけたことに本当に感謝しています。

3月20日(金)
那賀病院を退院。 
 あとしばらく抗生剤治療は続きますが、
桜が満開に咲く頃にはぼちぼち普通に戻ると思います。
 ご心配いただいたみなさまにご報告とお礼とさせていただきます。



2014.10.22 署名活動


2014.5.24 毎日新聞


2013.12.24 毎日新聞


2013.5.10 毎日新聞


新刊
「田舎坊主の求不得苦」出来!
3.11から考える「布施」と心の平安とは?




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毎日新聞和歌山支局長が取材に来ました
「住職が大震災募金箱」
2011.9.26付


貯金がなくなりました
義援金1000万円領収書
2011.3.11
巨大な地震と津波で東北地方では多くの市町村が壊滅状態になっています。
大津波は現実に…。
大切な家や職場だけではなく、
かけがえのない家族を亡くした人たちの姿には言葉がありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 1980年に生まれた私の娘は胆道閉鎖症で6ヶ月の命と言われました。
何とか助けたいという思いで当時の専門医のいる仙台の東北大学病院へ行き、
約一年半入院し、3回の手術を受けました。
 当時、手術には高額の費用がかかるため、
2回目以降の手術も、公費還付のある育成医療での手術ができるように
東北大学病院から和歌山県に直接交渉していただきました。
 おかげさまで娘は5歳まで生きることができました。
今年はこの子の33回忌です。

 遠い東北で先生や看護師、また同室の方々に大変お世話になったことを忘れません。
 私に今できる最大の支援は何かと考えた時、この個人義援金1000万円となりました。
もう貯金はありません。
 (写真は日本赤十字社から届いた義援金領収書です。こんなものがあるんですね。)
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法事の時に募金のお願いしています

法事の時に次のような法話をして募金をお願いします。

「家を流され、家族を流され、職場を流され、故郷もなくなってしまいました。
避難所で生活をしている人々は、文字どおり、命からがら着の身着のままで、
残ったのは命だけという人がほとんどなのです。
しかし、まさに絶望の淵になんとか踏みとどまった人たちの口から出る言葉は
『命があっただけで、しあわせです』と。
さらに避難所で家族が見つかった時、
『生きててよかった。それだけで充分です』という人もいました。
たった1杯の温かい飲み物や食べ物が差し入れられれば『本当にありがたいです』と話します。
そして『まだ見つからない人も多いなかで、
これ以上のことは贅沢です』とも話されるのです。
避難所などにいる被災者から聞こえてくるのは『感謝です』『ありがたいです』
という感謝の言葉であふれているのです。
ある避難所のなかにいた中学1年生くらいの女の子が
『今までどれだけしあわせだったか、はじめて気がつきました』と話していたことが、
私の脳裏から離れません。
 私たちは毎日頂く温かいご飯やお味噌汁を
本当にありがたいと思いながら食べているでしょうか。
こんなあたりまえのことが幸せなんだと感じる心を忘れていないでしょうか。
 般若心経262文字のなかに「無」「空」「不」という文字が34文字含まれています。
これらの文字は、言わばネガティブで否定的で後ろ向きなものばかりです。
決して夢や希望や楽しみというものを表しているとは思えません。
でも何も無く、空っぽになってはじめて
本当のありがたさや感謝や幸福感が生まれてくるとこのお経は説いているのです。
避難所の人たちの言葉はまさに般若心経の心髄を証明しているのかも知れません。
 大震災は、私たちが今幸せであることに気づかせてくれました。
今こそ被災した方々に手をさしのべ、
日本人同士が助け合わなければ、いつ助け合うのでしょう。」
募金箱
この募金は、ご喜捨頂いた檀家さんたちの善意の賜です。
このことについて毎日新聞和歌山版に下のような記事が掲載されました。
募金記事
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2009年7月出版
田舎坊主の愛別離苦


文芸社刊 1050円

「はじめに」より

愛しい人との別れは
「愛別離苦(あいべつりく)」という苦しみであると同時に、
「死」ほど多くのことを教えてくれる瞬間はない。
 それは決して穢れではなく、その人の大切さを再確認し、
その生き方を学び、命のはかなさを知るときであり、
遺されたものが人生の歩み方をあらためて考え、
一瞬一瞬に大切な生き方を実践する決意のときでもある。
(はじめにより)

この本の挿絵は、和歌山県紀の川市在住で、
難病患者家族会きほく会員の膠原病患者、
神森敦子さんに可愛い小鳥たちを提供していただきました。
彼女は、体調のいいときには、絵を描くことを楽しみにし、
鳥や花を描き続けています。
とくに鳥に関しては豊かな知識を持っている女性であります。

2002年12月出版

yahooセブンアイショッピングへ

文芸社刊 1050円
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はじめに
 
中学生のとき、将来絶対になりたくないものが三つあった。
それは寺の坊主と学校の先生と役場勤めである。
 親父は役場へ勤めながら田舎の貧乏寺の住職をしていた。
反抗期の私は、「寺は長男が継ぐものだ」と思っていた。
しかし、すでに兄たちは違う道を歩んでいるため、
どうしても私を坊主の修業に行かせなければと親が決めてから、
私の反抗も頂点に達し、学校のテストはすべて白紙回答で提出し
中学卒業さえ拒んでいた。
しかし、そのたび担任や各学科の先生から土下座での謝罪を強制させられ、
それ以来学校の先生にもなりたくなかった。
親が「寺を継げ」という言葉のウラにある「役場勤め」もいやだった。
 あれから三十六年、
人生とは皮肉なもので、招請されるままに、あれほど嫌っていた
役場勤めも学校の先生も経験してしまった。
しかも一番いやだった田舎坊主はいまだに続いているのだ。
親の説教と冷や酒はあとで効いてくるというが、
このごろようやく「私は坊主に合っていたのかなあ」と思えるようになってきた。
それは、私自身の体験や、難病患者や社会的弱者とのかかわりの中に、
田舎坊主として生きていく上で最も大切なものがあるような気がするからこそ、
そう思えるのだ。
 一本の大きな桜の木だけが境内を占領し、
訪ねる人もほとんどいない古い寺の縁側に腰を下ろし、
眼下に紀ノ川の清流をながめている風情を想像しながら、
しばらくの間、田舎坊主のブツブツ話におつきあい願えればありがたい。

おわりに

 
人は、よく「相手の立場になれ」というが、そう簡単になれないものだ。
「坊主は修業ができているから」と、容易に相手の立場に立ち、
相手を理解できるように思っている人も多いようだが、
私はいまだにその境地に達し得ない修業不足の田舎坊主だ。
 かつて、二女を胆道閉鎖症で亡くすという経験がなければ、
原因不明で治療法が確立されていない難病が
数多く存在することすら知らなかっただろうし、
難病患者の団体を結成し患者会と関わることもなかっただろう。
ましてや難病患者のおかれている現状など知るよしもなかった。
 しかしこの経験を通して、
少なくとも難病患者家族の立場だけは理解できるようになったし、
一生闘病しながらがんばる人たちとも多く出会えた。
だからこそ私は難病対策や福祉施策の向上を求めて
毎年街頭署名に立ち、
難病患者の現状を訴え国会へ何度も足を運んだりするのだ。
これは法事や葬儀に比することができない
私なりの衆生済度であり使命でもあるのだ。
そしてこれも正しい坊主の有りようだと信じている。
 拙書は、
現代社会の中で自分の居場所を見失った多くの心疲れた人々に、
田舎坊主がブツブツと語りかける「自分さがし」の癒しの書として
書きはじめたのだが、正直なところ田舎坊主の説法書とはいいながら、
むしろ医療や福祉を志す若者たちや、
若き宗教者に是非読んでいただきたいと思っている。
そして彼らが織りなす努力によって、
経済効率至上主義のなかで見捨てられがちな人々にも、
希望を持って生きられる社会が到来することを心から願ってやまない。
                                        合掌

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